2023年10月28日土曜日

藤井高尚祭 10月29日

 藤井高尚(ふじいたかなお)の旧邸が一般公開されました。藤井 高尚(ふじい たかなお)は、江戸時代後期の国学者歌人神官で,あの本居宣長の門人として有名な方です。明治8年から,35年間,この高尚邸はなんと鯉山小学校の校舎として使われていたそうです。



高尚邸は築300年を迎える歴史的建造物です。吉備津神社の本殿がおよそ600年,そして,鯉山小学校が創立150周年を今年迎え,この切りのよい数字を見て運命を感じます。


お茶席もあり,茶道クラブの子どもたちが大活躍しました。




PTAの方々も応援に来てくださいました。
歴史講座では,講師の京都府立大学名誉教授の山崎福之先生から鯉山小学校の歴史についての次のようなお話がありました。
「鯉山小は文学者・詩人が名付けた名前が学校の名前になってるめずらしい学校です。鯉山小学校の”鯉山”は,江戸時代に活躍した漢詩人・漢学者の賴山陽がこの地を訪れたとき,吉備の中山をみて,山が魚の形をしているということで鯉山と名付けたことに由来します。ただ,魚の形なら,別に鯛でもいいわけで,なぜ鯉山に賴山陽はしたのでしょう。それは,漢詩人にとって,鯉はものすごく大切な存在で。中国の黄河という川の上流に龍門というすごく険しい急流があり,そこを鯉が滝のぼりして,鯉が龍になるという伝説があり,だからこそ,鯉山なんです。鯛山ではだめなんです。漢詩人にとって,鯉は,相手を褒め称えている名前,めでたい言葉なんです。」
 このお話を聞いて,なるほど,漢詩人がつけたのだから,訓読みの「こいやま」ではなく音読みの「りざん」なんだと納得するとともに,より一層この学校の名前が好きになりました。


三味線の演奏が,高尚邸の庭でありました。鯉山をバックに,ステキな演奏でした。演奏している場所にはかって,池があったそうです。300年程前,吉備の中山から登る月見をしている高尚さんを想像してみてください。きっと,池には月が映っていたはず。ロマンティックですね。 保存会の方々,三味線クラブのみなさん,ありがとうございました。

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